mardi, septembre 04, 2007

       

どんな眼差しも無効である。


市バスを乗り換えて、休みの日には彼は彼女に会いに行っていた。京都駅がまだ建て替えられる前のこと。市バスの冷房はいつも九月になると効き過ぎていたので、夜の帰りのバスではいつもTシャツいっちょうでは寒かったのだった。

思い出などとはいえないような代物に、彼はバスの一番後ろのシートで欠伸をするのである。京都の倦怠を知っているか。京都では、どんな眼差しも無効である。

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