泣く山
1996年8月、山が泣いているわと言うのをマンションのバルコンで聞いて、なるほど、立秋も過ぎると山河が泣くというたとえもあるのだな思ったのである。山が泣くというその夕暮れはやがて夜になり、窓越しに生駒山の遊園地の明かりを遠くに見て部屋をあとにした。浜名湖サービスエリアで、湖の対岸には舘山寺温泉のほうが望めた。やはり山が泣くので結局泊まらずに帰ってきてしまったという人のことを思い出した。山が泣くからあの世がやってくる。夏の終わりには山が泣いてあの世がやってくる。だれか気がついてくださいよと山が泣く。
東京は、山が見えないから、あの世が近いと山が泣くのも気づかで夏のおしまいを生きることができる。京王電車の高尾山口駅のプラットフォームで、山が泣いているのに出会ったことがあった。しかし、そのとき一緒にいたO君は、まったくそんなことには気がつかないようであった。
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