mercredi, août 04, 2004

       

樹の記憶

 池袋駅を出ると電車はそろそろとカーヴを通過した。車窓からデパートや高層ビルや、清掃工場の煙突がゆっくりと後ろへと流れていくのが見えた。やがて速度が増し、いくつもの駅をどんどん通過していった。いつの間にか、練馬辺りは高架化していた。高い位置を走る電車からは、はるか遠くに霞む富士山の山影が望めた。
 ぼくは、長らく石神井のアパートを訪ねていなかったから、ゆう子がドアを開けてくれるかどうかわからなかった。駅からアパートまでの道程を、これほど力なく歩いたことはなかった。途中にある公園のの大きな背の高い木々が、風にざわめいていた。ぼくがその下を歩くと、葉ずれのざあざあという音が降ってきた。
「メタセコイヤ」
 ぼくは大木の幹に着けられたプレートの、小さな文字を読んだ。ゆう子がこの樹の名を、何かの話の中で言っていたのを思い出したからだ。
 調布のマンションの庭にもメタセコイヤが植わっていて、上層階の廊下から見下ろすと、ざわざわとその大きな木が風に揺れているのが見えた。京王線の駅から延々と歩いてきて、家族が留守のときに、ゆう子はその部屋でぼくと何日か過ごしたりした。あのころ、ふたりともその樹には何の関心もなかった。
 ゆう子は、何も知らなかったこの樹のことを調べていた。昭和十四年に、四国出身の三木茂という学者がこの樹の化石を発見したことや、中国四川省の唐刀渓というところで、この樹が生きた化石として昭和二十年に発見されたこと、現在日本にあるメタセコイヤは、昭和二十五年に中国から送られてきた百本の子孫だということも。

 

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