mardi, août 24, 2004

       

世界の外側で何度も呼んだが中へは入れず

 少し前には日本国内で、一番じゃなくても一つだけでいいとかいう胡散臭い歌が流行ったものだ。その次に流行ったものといえば、なんだか世界の中心でなんか叫ぶらしい小説や映画であった。泣き所がさっぱりわからなかった。そして、これはまただいぶ前にだが、世界はたった100人の村にたとえられてしまって、このハナシもなんだかとてつもなく胡散臭いものだった。
 胡散臭いってなんと面白い字なのだ。世界はあまりに不均衡で、劇的である。外側を彷徨し続ける外猫が、今日は何度鳴いてみても中にははいれず。東京の空の下、30年以内に大きな地震が相模トラフで起こる可能性がかなり高いということで、さてそれは30年間のうちの明日のことかもしれないし、30年間の最後の日なのかもしれないなと、やはり、にゃあと鳴いてみる。すると、すぱっと首が切られてしまうのかしら。動物の虐待は人間に対する暴力に発展するという仮説に基づいて、功利主義的観点から動物の権利を保護しようという思考もあるようだ。

 

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